「『ルーク』、無事でなによりです」

アッシュは謁見が終わり、ファブレ邸の応接間にてシュザンヌに抱き締められた。

母に抱き締められたことなどいつ以来だろうか。久しぶりに感じる母の温もりにアッシュの涙腺が緩みかけた。

ヴァンに誘拐され、『アッシュ』として生きていた時間では考えられないことである。

「く、苦しいです、母上・・・」

嬉しいには嬉しいのだが、ルークにしっかり見られているためどことなく恥ずかしい。

そしてなにより、抱き締める力が強すぎて呼吸ができない。これが、涙腺がかろうじて緩まなかった原因でもあるが。

なんとかアッシュはそれだけ言うと、ようやくシュザンヌは離れてくれ、空気ってこんなに新鮮だったのだと実感した

「ようこそファブレ家へ、これから貴方はルークの弟になるのですよ」

そしてシュザンヌはルークにも同様の洗礼を施すのだった。




「さぁ、貴方の名前はどうしましょうか」

シュザンヌは嬉々として微笑む。そんな彼女はいそいそと紙とペンを取り出している。

なんとかルークも生き長らえ、新鮮な空気をたっぷりと肺へ放り込んでいたところへアッシュが肩を叩いた。

まるで兄が「よく頑張った」とでも言うかのようだ。

そこへぱらり、ぱらりと本をめくる小さな音がする。

ルークはその音をたてている人物に目を向けると、その者はその視線に気付いた。

「公爵家子息にして第四王位継承者だ。それなりの名でなければな」

クリムゾンはそう言いつつ何処か楽しそうにイスパニア語の辞典を開いていた。






ルカはどうだ、いやそれは女の子の名前だろう、ルクスはどうだ、これは候補に入れておこう、など

なかなかルークの、両親からもらう名が決まらない。ルークとアッシュがファブレ家大広間へ通されてから

既に半日は過ぎている。応接間に来た時には太陽はまだ高いところにあったというのに今は空が赤く染まっている。

それほどまでに熱心に、ルークの名を両親は考えていた。

熱心なのはルークにとっても弟として無意識に見始めているアッシュとしても嬉しいことなのだが

昼前にこの応接間に来たはずなのに、両親がルークの名前を決めることに夢中でこの場にいる4人は昼食らしいものを口にしていない。

更に赤毛二人は、船ではキムラスカ兵が一緒にいたとは言え

何があるかわからなかったおかげで食事らしい食事はなにひとつ今日はしていないのだ。

ケセドニアも、自治区なだけにヴァンが襲ってくる可能性が一番高かったため足早に素通りしている。

子どもは発育のために熱量を大人よりも多く消費するが、大人よりも摂取量は少ない。

そのため子どもには間食として『おやつ』が必要なのだが、そんなものはもちろん大人でさえ必須であるはずの三食のうち二食をしていない。

当然二人はかなりの空腹に耐えていたのだった。

これならば船で何か食事を用意してもらえばよかった、と 二人はもう切ない声で鳴くことすらなくなりぺったんこになった腹部を撫でていた。






日がとっぷり暮れた頃、ルークの名前はまだ決まっていなかった。

応接間のテーブルにはありとあらゆる名前の書かれた紙が所狭しと散らばっている。

一方アッシュとルークは応接間の椅子に座らされ、本日のディナーとなるのであろうものの匂いをずっと嗅がされ

鳴くこともなくなっていた腹の虫は息を吹き返している。

朝から何も食べていなければそうなるだろう。

その空腹に耐えかねたアッシュは、自分の名は『アッシュ』でいいから『ルーク』はこいつに、と発言した。

けれど、『アッシュ』の意味は『聖なる焔の燃え滓』。両親が許すはずもなく、即却下された。

どうせ7年間も『アッシュ』でいたのだ。今更『ルーク』と呼ばれても弟として正式に認められた彼が呼ばれているようにしか聞こえない。

それ故だったのだがシュザンヌの

「なんと言おうと貴方の名はルークです!正式に私達がこの名を与えたのは貴方だけです」という言葉で折れた。

その言葉に少々ショックを受けたのはルークだった。

やはり自分は彼の居場所を奪っていたのだ、と。

暫くぶりに見るネガティブ思考に支配されたルークを見たアッシュは両親には聞こえない程度に舌打ちする。

公爵子息が舌打ちなどしたところをうっかり両親に聞き咎められでもしたら即教養勉強のやりなおしだろう。

「おい、お前はお前の意思で俺の居場所を奪ったんじゃない。ここに来たその時、お前は『ルーク』だと名乗ったか?
名乗ってないだろう? 赤子だったお前に責任はない。居場所を奪わせたヴァンが悪い」

自分達が未来の記憶を持って今ここにいることは当人である自分達二人以外誰も知らない。

今更不審がられても困るので、アッシュは小声でルークにそう言った。

そのアッシュの顔は少々歪んで見えないこともない。

逆行する前は自分に対して怒鳴りつけながらも情報を届けてくれたりなどしたが

ルークにとってヴァンが自分の師匠だったようにアッシュにとっても師匠だったのだ。

はっきりと『ヴァンが悪い』と言っていても、その心境は複雑なのではないだろうか。

なんとなくそれを感じ取ったルークはなおも食い下がろうとしたが、「お前は悪くない」という言葉で静かになった。

まさか、「俺の居場所を奪いやがって」と言っていた彼からそう言われるとは思わなかったのだろう。

ルークを個人として認めたからか否かは不明だが、以前と比べ顕著な変化がアッシュには顕れていた。

ルークとしてはそんな勝手なと言ってやりたいところだったが

個人として認められたからだと思うと少々嬉しくなった。

そんな二人の小声での会話をよそに、シュザンヌがふと口にした。



「煌く穢れ無き焔の剣 ラウアヴェルというのはどうかしら?」



クリムゾンから引っ手繰ったイスパニア語の辞典のあるページでシュザンヌは指を差す。

『聖なる焔の光』はゆくゆくはキムラスカ・ランバルディア王国全体を照らす光となるだろう。

そして『煌く穢れ無き焔の剣』はこのファブレ家をその剣で守っていくことになる。

そう考えたシュザンヌが口にした名前だった。

「・・・ラウアヴェル=フォン=ファブレ、ですか」

アッシュは自分の名でもないのにラウアヴェル、ラウアヴェルと何度も呟き、そして頷く。

彼の弟として、それは十分な重みのある名だった。

「ふむ・・・何故だろうな。この名でなければいけないような気がしてきた」

公爵もまんざらでもなさそうだ。

同じ名を持った二人に、それぞれの日溜りが与えられるとき。

1度はローレライの片割れとしてひとつになった自分達の行く末の続きは今も紡がれている。

ひとり分の日溜りに僕等はいた。

その日溜りはふたり分に。

「・・・ルークの弟、ラウアヴェル=フォン=ファブレ、有り難くその名を頂戴致します」

アッシュである『ルーク』、そしてルークである『ラウアヴェル』はこの時完全に預言スコアになどない日溜りを手に入れたのだった。

余談だが、ようやく食事にありつけた二人によるとこうも美味な食事は初めてだったという




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