零式艦上戦闘機52型甲その2

零式艦上戦闘機のコックピットを見るのは非常に難しいです。大抵の場合、博物館所蔵の展示品は立ち入り禁止がほとんどで外から見るだけ、乗るなんてとんでもない話です。ところが・・・・今回の三菱名古屋航空宇宙システム製作所史料室ではなんと室長さんの知り合いの方が見えていて多分今回だけだと思いますが、コックピットに乗る機会がありました。階段があって風防を開いて乗り込みます。通常は胴体に足掛け、取っ手があって主翼に足を乗せる所が一ケ所あり、左側から乗り込みます。かなり上を向いています。前が全然見えません。で座席がレバーで上に上がるようになっています。パイロットはこれで滑走中の前方の視界を確保しました。速度が上がるとテールが持ち上がって機体はほぼ水平になります。で離陸・・・となるわけです。

零戦のコックピット前半の写真。

これ、かなり貴重な写真です。7.7mm機銃もちゃんとあります。照準器は九十八式射爆照準器。

中央の2つの計器は右は旋回計。左は二型水平儀。
その下左から
@混合比計
A航空時計
B速力計
C航空羅針議
D昇降度計
E燃料潤滑油圧力計
Fエンジン回転計

下6つ左から
@吸気温度計
A電路切断機
B高度計
Cブースト計
D油度計
Eシリンダー温度計


シリンダー温度計の下のハンドルは潤滑冷却調整ハンドル

右側の黒い箱
@前はクルシー無線帰投装置操作盤
A後ろは三式空一号無線機操作盤


操縦桿の左側にスロットルレバーと機銃発射レバーが見えています。

操縦席左側

上のレバーはスロットル。
機銃の発射レバーがあります。

左下チェーンがついているのは昇降舵修正タブ操作ハンドル。

手前2つの計器
@前は胴体燃料計
A後ろは主翼燃料計


シルバーのレバーは緊急燃料投棄レバー。

三式空一号無線機。

当時の無線機はほとんど雑音ばかりで役に立たず、外してしまった機も多かったそうです。

坂井三朗氏の著書「大空のサムライ」ではジェスチャーで意思疎通をしていた事が書かれています。

作戦遂行時で無線の重要性は言うまでもありません。終戦までこのような状態が続いてやっぱり無線一つ取って見ても負けるべくして負けた・・・との感があります。

座席付近。

零式艦上戦闘機の座席はこんな具合でした。
欧米機にはあるアーマー(防弾鋼板)がありません。

非力なエンジン性能を極限にまで生かす為機体は極力軽く造られました。その為パイロット、燃料タンク用の防弾鋼板はおざなりにされました。

名機零戦とは・・・・たった1発の乗員、燃料タンクの被弾で簡単に墜落してしまう欠陥機だったのは良く知られているところです。

乗員の命を軽く見ていた日本と違ってアメリカは乗員と燃料タンクの防弾をしっかりしてやっていました。増えた重量はより強力なエンジンを載せることで解決し、空戦空域の近くには潜水艦など配置して墜落した乗員を極力救助していました。この違い・・・・・・???

戦争をするに当たってで何が1番大切か・・・・というのがこの零戦を見て良く分かるのではないでしょうか?

前風防付近。

正面のガラスは平面ガラスになっています。

各パネルの鋲は枕頭式になっているのが良く分かります。設計の堀越技師はこのような所まで気を配って設計したのでした。

カウリング付近。

推力式単排気管の様子が良く分かります。

7.7mm機銃が見えています。
(銃身は短い)
プロペラ回転圏内からの発射になるのでブレードに当たらないように同調装置がついています。

「大空のサムライ」では坂井氏は主にこの7.7mm機銃で敵機を撃墜されたそうです。

主翼の20mmは携行たった60発、すぐに撃ち尽くしてしまい、結局1挺当たり700発の7.7mmが多用されました。

操縦席から見た主翼。

日の丸の直径は約1m、白丸の幅は10cmです。

編隊灯が2つ見えています。

左の緑の棒は主脚の状態を示しています。出ていたら主脚は降りています。操縦席でランプでも確認出来ます。

胴体に書いてあるステンシル。

この機体は三菱第4708号ですね。
中島製の機体にも同様に書いて
あります。

20mm機銃。

機銃ですが、日本は自前で開発出来ず、スイス・エリコン社製のものをライセンス生産していました。

99式1号20mm固定機銃。60発ドラム弾倉がつきます。


アメリカは12.7mmに統一していました。この方が弾丸は1種類だし合理的でした。

日本は・・・7.7mm20mm2種類の弾丸で初速、弾道も違う機銃を載せて戦っていました。このあたりでも不合理で改良の余地はあったと思われます。

後ろから。

凄く美しい姿です。
しかしながら・・・・・

戦争末期、多くの若いパイロットが爆弾をかかえて敵艦につっこんで行きました。

そのほとんどは人生これからという、二十歳前後の将来がある若い方々ばかりでした。

今は平和な日本ですが、この方々の尊い犠牲の上に成り立っている、ということを忘れてはいけないと思います。

■参考資料

光人社 坂井三朗著「大空のサムライ」

ご存知、太平洋戦争零戦パイロットで最初は戦艦霧島、榛名の砲手として海軍に入りましたが、戦闘機パイロットになりたい夢は捨てがたく航空兵募集の張り紙を見て応募、見事に合格して零戦の前の固定脚96式艦戦からパイロットになります。
日華事変から実戦に参戦、敵機から銃撃を浴びて負傷すること4回、しかしながら64機を撃墜、奇跡的に終戦まで生き抜かれました。

2000年9月に惜しくもお亡くなりになっています。この手記は外国でも翻訳されて映画にもなりました。

光人社 零戦開発物語 小福田晧文著

先の坂井三朗氏の先輩格に当たる方だと思います。96式艦戦以前の明治時代の戦闘機である10式艦上戦闘機(複葉機)から海軍最後の試作機列風までの海軍全戦闘機の開発歴史を綴られています。

零戦は最も有名な機体ですので多くのページが割かれています。もちろん小福田氏自身も海軍パイロットでした。

文林堂 日本海軍零式艦上戦闘機 野原茂 著

上の2冊はテキストですが、この本はビジュアルです。開発の過程、各型の特徴、各部分の写真、マーキング、塗装色、コックピット内部、三面図、大戦中の貴重な資料写真、この本で大体分かりますね。

■編集後記

子供の頃から作ってきた零戦ですが、真実を知れば知るほど当時の悲惨さが窺い知れます。一体、戦争しようなんて誰が考えたんでしょうかね?日本は島国で海軍は列強国でも1、2を争う力を持っていましたが・・・・太平洋戦争のずっと以前の日本海海戦の勝利の余韻ががまだ残っていたのでしょうか?1度アメリカに行って見た方なら絶対この国には勝てない・・・・と考えたと思います。(私もそうです)エンジンの非力さ、防弾鋼板の不備、無線機の不調、暗号コードが敵に筒抜け、機銃が2種類で保守や点検も余計に手間がかかった・・・・他にもまだまだ矛盾が多数あります。総じてアメリカの方が合理的で「どのようにしたら勝てるか」を徹底的に追求、考えていました。決して物量の問題だけではないです。
今の平和なこの時代、先の戦争で犠牲の上に成り立っていると言うことを肝に銘じなければなりません。今回、零戦を見る機会があって多くのことを考えさせられました。またぞろ昔のように零戦のスケールキットを作ってみようかと思っております。

2009.3.27