忠臣蔵歴史ポタ 京都山科編

今は楽しみが多数あり、今の若い人は別に忠臣蔵なんて知らないし、興味も無い・・・・と言う方が大多数と思われます。がしかし・・・・・
そうですね、40代の年代から我々以上の世代の方にとっては「忠臣蔵」は年末の風物詩と言っても良いのでは?と思っています。実際にあった話だし、ストーリーも下手な小説よりはよっぽど面白いです。私の場合はそうですね、小学生のあたりから母親から話を聞いてストーリーは知っていました。ちょっとつっこんで実際に忠臣蔵関連の史跡なんか巡ったら凄く面白いかなあ?と考え始めたのはつい最近です。よくよく考えてみたら私の住んでいる場所から赤穂や幡豆郡吉良町は日帰りで行けます。・・・・ということにハッと気がついてまずは資料集めから取り掛かりました。どこにどういう史跡があるのか・・・・?これは良い本が手に入りました。住所も書いてあります。詳しくは最後の方で書きます。
最初に行ったのがこの京都山科でした。ご存知の様に内蔵助は赤穂城を開城して元禄14年5月から山科に閑居します。当初は内匠頭の舎弟浅野大学を取り立ててなんとか浅野家復興を実現させようといろいろ策を講じて幕府に働きかけますが・・・・この山科にいる時に敵の目をくらます目的かどうかは分かりませんが、祇園や撞木町などではでに遊びます。これを心配した同士の進藤源四朗(後で脱落)が版木屋、二文字屋次郎兵衛の娘、当時まだ18歳のお軽(可留)を世話したのでした。今回の歴史ポタはそのあたりの史跡を訪ねるポタ+前回は行ってない、日本3大遊郭の1つ京都島原遊郭跡もプランに入れてみました。このプラン、2年前に1人で走りましたが凄く面白かったので今回はいつも懇意にしてもらっているメンバーで走ってみました。


■実施:2010.2.21
■参加メンバー:
BLKさん、murashinさん、 UGの兄♭♭♭さん、EVERST espritさん、charaさん、大黒屋さん、akuta 計7名
■コース:
仁和寺P〜上善寺(お軽の墓)〜祇園一力亭〜祇園にて昼食〜滑石越〜大石神社〜内蔵助閑居跡〜撞木町遊郭跡〜午後のティータイム〜島原遊郭跡〜仁和寺P  走行:約36km

■走行ルート図

おおまかなものです。参考程度にして下さい。

■主な見所

■上善寺 お軽の墓

○住所:京都市上京区今出川通千本西入南上善寺町

お軽(可留)
上の説明にも書きましたが、内蔵助は元禄15年4月、妻のりくと離縁した後、祇園や撞木町ではでに遊び始めます。一般には敵の目をくらます為とか言われていますが、実際の所内蔵助はやはりその方面は嫌いではなかったようです。(笑)

同士の進藤源四朗は遊びまくる内蔵助を心配してどこぞから美しい側女を世話したら遊びも収まるのではないかと考え、当時まだ18歳のお軽(可留)を世話したのでした。

記録によると29歳で亡くなったとされています。元禄15年10月に内蔵助は江戸へ出立しますが、この時お軽は内蔵助の子供を身ごもっていました。

写真はそのお軽の墓とされているものです。中央は父上、左は母上、右がお軽のものの様で「清誉貞林法尼」と戒名が彫ってあります。

■祇園一力亭

○住所:京都市東山区祇園町南側西南角571

京都には全部で5ケ所花街がありますが、その中でも一番有名なお茶屋だと思います。

あの有名な「仮名手本忠臣蔵」にすでに登場しています。創業は江戸初期だそうで優に約400年の歴史を誇ります。この一力亭は格式の高いことで知られています。一生に一度はここで遊んで見たいとヒソカに思っておりますが・・・・・ちょっと無理・・・・???

参考:一力亭の夕べ

■大石神社

○住所:京都市山科区西野山桜ノ馬場町116

大石神社はいくつかあり、ここの神社も他と同じく大石内蔵助の義挙を記念して建立されたものです。敷地内には忠臣蔵宝物殿があり、内蔵助や小野寺十内他直筆の書などあります。

12月14日討ち入りの日には山科義士祭が執り行われます。

■内蔵助閑居跡

○住所:京都市山科区西野山桜の馬場町96

大石内蔵助は元禄14年5月〜元禄15年8月の間、ここに住みました。ここにした理由ですが、遠い親戚に当たる進藤源四朗がここに土地を持っていて借りることが出来た為だそうです。

当初は浅野家復興を願っていろいろ奔走します。江戸急進派をなだめたりして手を尽くしますが・・・・

元禄15年4月には妻りくを離縁、この頃から祇園や撞木町で遊び始めて同士らをはらはらさせます。

そんな時に進藤源四朗が18歳の娘、お軽を世話したのでした。

■撞木町遊郭跡

○住所:京都府伏見区撞木町1148

京都祇園と共に内蔵助が山科から通ったのがここ撞木町遊郭です。
このあたりにはずらっと遊郭が並んで建っていたそうです。

閑居跡から祇園とほぼ同じ距離(約4km)にありました。ちょっと格式が高い祇園よりは庶民的な遊郭のこちらへより多く通ったと伝えられています。

内蔵助が好んで通ったのはここ万屋(よろずや)と笹屋だったそうです。

■京都島原遊郭跡 角屋

○住所:京都市下京区西新屋敷揚屋町32

日本3大遊郭の1つです。京都は戦災をまぬがれたので建物は昔のまま残っています。

この角屋は当初から揚屋(今で言う料亭)で置屋から太夫(芸妓最高位)や芸妓を呼んで遊宴をする所だったそうです。

この角屋はご存知幕末の頃は新撰組の局長クラスの宴会などでよく利用されていたそうです。

この角屋はの開館期間は・・・・・
3月15日〜7月18日、9月15日〜12月15日までとなっております。ご注意!!



■参考文献

■赤穂義士の歩いた道   著者:柏原新 文芸社刊

労作だと思います。筆者は82歳の時にぼけ防止と運動のために(本文より)このような忠臣蔵関連の史跡巡りを思いつき、3年間でほぼ全部廻ってこの本を執筆されました。

感嘆するのは四十七士だけではなくてその他の関係した人物の史跡にも寄っている事です。思うに忠臣蔵関連史跡巡り案内の参考本としてはおそらく一番内容が濃い本だと思います。全部住所が入れてあり、実用性が高い本です。但し地図はありません。

2010.2.25

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