北国脇往還を往く

■春照宿〜野村宿〜小谷宿〜木之本宿

小谷宿の手前、八島のあたり。道の両側に道標があります。右側の道標ですが、「右越前道」「左江戸道」と彫ってあって八島にある道標の中では一番古いものだそうです。

■春照宿〜野村宿

落ちた越前橋を迂回して行きます。目の前には伊吹山が・・・↑→

左が県道で北国脇往還は右の林道を行きます。例によって案内は一切なし。

最初はこんな感じです。パスハンターで快適な道です。

かつての北国脇往還の名残がありました。

越前橋手前の道標。
「右北国道」「左長浜道」

一見なんてことないごく普通の道で、北国脇往還には見えません。

おおっ!! 北国脇往還の案内看板が・・・・・いや、ちょっと嬉しいですよね。相撲庭のあたり→

今荘ぶどう園の前に出てそのまま県道を突っ切って行きます。

←浅井町に入りました今荘のあたりです。
このあたりは見所や史跡が数多くあります。

程近い場所に有名な姉川古戦場があります。お市の方が嫁いだ浅井長政と朝倉景勝の連合軍と秀吉、家康連合軍が元亀元年(1573)戦い、浅井朝倉連合軍は敗北、3年後に小谷城は落城してしまいます。(2006年走行)→

佐野の外れにて。お地蔵様が多数鎮座していました。

■野村宿〜小谷宿

野村宿入り口、道の向こうに錆びたガードレールが見えますが、本来はまっすぐ旧街道が伸びていました。

野村宿本陣佐々木家です。今もなお、往時の面影が残っています。

野村宿本陣佐々木家のすぐ前にある道標。「右北国道」「左江戸谷汲」→

脇往還は江のドラマ館の前を通ります。いや、凄い人出でした。右のブロンズ像は「家族」と名づけられた浅井長政家像。左から初、お市の方、茶々、長政、江、万福丸。万福丸は先妻との子供ですね。(江は男の子に見えました)

八島に入りました。自然石の「北国脇往還」道標ともう1つ、「東関が原約五里 西木之本道 南内保五丁 北田原道」道標。

■小谷宿〜木之本宿

八島にて。旧街道の両側に道標があります。正面が関ケ原方面で左は木之本方面。

八島の外れです。ここで直角に曲がります。

総合物流会社「メイコン」の横が北国脇往還です。→

はるか彼方に件の「メイコン」が見えています。北国脇往還はここで左へ曲がっていよいよ小谷宿に入ります。

伊部宿本陣の前です。目の前には小谷山が見えています。

伊部宿本陣です日もだんだん傾いて来ました。

小谷城へ真っ直ぐに行く道です。脇往還は左右方向。→

北国脇往還郡上のあたり。右に有名な北国脇往還の看板が見えています。左手方向は小谷山です。

馬上(まけ)のあたり。きれいな水が豊富でした。

馬上の道標 右手「すきのかねいはら道」
左手「北国きのもと道」道標。

高月町雨森にある有名な北国脇往還道標。
「みぎ せきがはら」 「ひだり きのもと」

高月町持寺のあたり。秋の日はつるべ落としですね。もうすぐ木之本宿です。

木之本宿に入りました。左北国脇往還、右は北国街道です。ここで合流します。やっと・・・・北国脇往還を完走しました!!

■編集後記

旧街道を往時のルートで忠実にトレースして、当時を偲びながら走るというのは大好きなサイクリングのスタイルの1つです。でこの種のサイクリングでは決して焦ってはいけないと考えています。途中の見所や名所、関係した博物館とか資料館など見て行くと小生の経験では1日30km程度がやっとという感覚があります。まあ、昔の人は1日十里(40km程度)歩いたということを聞いていてそれよりも距離は伸びないですが、競争ではないし、小生はマイペースでトコトコ行くのが好きです。
でこの旧街道サイクリングで1番重要なのは・・・・言うまでもなく分かりやすくて正確で見やすい、もう1つ言えば廉価な資料です。一般的に旧街道関係の資料は非常に手に入りにくくてなおかつ高価な場合が多いです。いつどこで手に出来るか分からないので普段からの心がけが大事ですよね。今回の「みーな No104号 北国脇往還をゆく」は小谷山へハイキングに行ってその時に偶然見つけました。いや、小谷山はいつか行こうと考えていてこの10月に登ったのですが、行って良かったです。北国脇往還の載っている「みーな」を見つけて今回行く事が出来ました。非常に幸運だったと思います。この脇往還ですが、希望者が見えたらオフ会で行くのも考えています。また連絡して頂けたら・・・と思っています。最後まで見て頂いて有難うございました。

2011.11.5