北国脇往還を往く

北国脇往還沿い、佐野の集落の外れにこのようにお地蔵様が多数鎮座ましましておりました。で祠もあります。

小生は旧街道を行くのは決して嫌いではなくてむしろ好きな方です。もうどのくらい行ったかなあ・・・・と数えたら東海道、中山道、伊勢参宮街道、伊勢別街道、西国街道、二見道、朝鮮人街道、奈良上街道下街道、姫街道、美濃路、北国街道(木之本宿まで)ウ〜〜〜〜ン、で今回の北国脇往還と結構行っています。まだまだ他にも行きたい旧街道は多数有り、一番重要なのは詳しい資料をいかに集めるか、という事につきます。で普段からの心がけが非常に大事で書店や観光地なんかで・・・・旧街道案内とか、・・・ウォーキングマップなどと言う文字を見つけたらちょっとドキドキします。(笑)こういう旧街道関係の本やウォーキングマップ類は目に付いたら即買うようにしていますね。つい最近も是非行こうと考えている旧街道関係の本を見つけました。そのうちに入手しようと考えています。

さて、今回の北国脇往還はやはりNHK大河ドラマ「江〜姫たちの戦国〜」の影響大です。いつかは行こう行こうと考えていてズルズル来ていましたが、今回偶然に北国脇往還の素晴らしい資料を入手出来て「ヨシッ!!それじゃ行って見るべか」と重い腰を上げて行って来たという訳です。最初は多分路面も良くてランドナーで充分かな?と思っていたのですが・・・・最後に入手した資料によると山道や林道、でちょっと藪漕ぎも有るとの事で即パスハンターに切り替えました。で担ぎ上げも1ケ所あります。今回の北国脇往還はランドナーでも行けなくはないですが、パスハンターで正解だと考えています。

北国脇往還は歴史的も重要な街道になっています。例のお市の方が浅井長政に嫁いだのが永禄11年(1568)、岐阜城より小谷城へと輿入れするのですが、通ったルートとしては中山道を通って関ケ原宿から北国脇往還を通って小谷城へと向かったものと思われます。やはり天正10年(1582)お市の方と柴田勝家の再婚の際に三姉妹と共にこの北国脇往還を通って行ったと考えられています。
それと有名なのが賤ケ岳合戦で秀吉の大返しです。大垣にいた秀吉は柴田勝家に大岩山城が攻められたとの情報を得て大垣から13里(52km)を2時半(5時間)で北国脇往還を通って移動、有名な賤ケ岳七本槍の活躍などで柴田勝家軍を破ります。このように北国脇往還は歴史的にも重要な街道で是非一度は走ってみたいと考えていて今回完走出来て大変良かったと考えています。


■走行 2011.10.29
■コース: ファイル1: 関ケ原宿〜玉宿〜藤川宿〜春照宿
       ファイル2: 春照宿〜野村宿〜小谷宿〜木之本宿          走行距離:35km

■北国脇往還行程図

■参考文献

■地域隔月刊誌 「みーな」   
発行:サンライズ出版刊

やはり地元の出版会社だけあってかゆいところに手が届くというか非常に親切に編集してあります。1番の目玉は・・・・・往還絵図でこれだけで間違いなく旧街道を正確にトレースして完走出来ます。で所々の解説も丁寧で廉価な所と言い一番のお勧めですね。この本はまだ入手出来ます。


http://www.n-miina.net/

■北国脇往還ウォーキングマップ
発行:長浜市役所 観光振興課 北国脇往還再発見委員会

このウォーキングマップは小谷山ハイキングに行った時に下の土産屋で入手したもの。縮尺は1万分の1でかなり詳しいです。これも曲がり角の目標物など書いてあってお勧めです。

■北国街道と脇往還
発行:市立長浜歴史博物館

この本は以前に北国街道を行く時に入手した本です。縮尺は2万5千。
やはりどうしても上の「み−な」と比べてしまいますが・・・・ルートは正確ですが、曲がり角や分かれ道の目標物が書いてないので・・・・この地図だと多分ルート探しにちょっと苦労するかもです。解説はこの3つの中では1番詳しくて読み応えがあります。写真や絵図面などは多数載っていて必携の本と言えます。

■北国脇往還の印象的な場所

■玉宿の見事な石垣の民家。

個人の家でこれほどの見事な石垣の家は多分初めて拝見したと思います。まるでお城のよう???

■藤川宿のいかにもといった旧街道のたたずまい。

道の曲がり具合とか白壁の土蔵とか良い感じでした。

■素晴らしい山容の伊吹山。

脇往還前半部分は伊吹山が近いせいか良く見えます。
お市の方や江もこの風景を見ていたのかと思うと感慨深いですね。

■サツマイモの巨大なオブジェ。

脇往還とは直接関係はないですが・・・・このあたりは産地らしくて写真のようなオブジェがありました。色といい形といい良く出来ていました。

■長浜道と脇往還の分岐。道標もあって印象的な場所でした。過去に何回か来た事あります。脇往還は右へ行きます。

■小谷宿の手前、脇往還から見た小谷山。

お市の方は天正10年(1582)に柴田勝家に輿入れするためにここを通りますが、9年前の天正元年(1573)に秀吉に攻められ小谷城は落城、最初の夫の浅井長政は自刃してしまいます。お市の方、茶々、初、江はどのような気持ちでこの風景を見ていたのでしょうか・・・・???

■滋賀県地方誌「みーな」No104号北国脇往還特集号の表紙はここ

上の参考文献の「みーな」の表紙をもう1度見て下さい。(笑)
あの表紙はここ馬上のあたりで撮影されていたのですね。ナルホド・・・・・
ここだったのか・・・・と思わず二ヤリ。(笑)

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2011.10.30