5月14日:赤碕〜湯梨浜〜鳥取〜鳥取砂丘〜浜坂 (芦屋荘泊) 走行:約87km

いやはや、昨日は・・・・凄い向かい風で参りました。よりによって長距離走行の日に後半からです。なんというタイミング・・・・・???
おかげで予定していたキャンプ場に着く前にへばってしまって手前の道の駅「ポート赤碕」で泊まってしまいました。昨日の事はま、いっかと思い直すことにしました。

さて、今日ですが・・・・昨日ほどの距離はないです。ところで・・・・・フッフッフ・・・・・(笑)あの加藤文太郎の故郷で有名な浜坂に行く予定。ここは是非行こうとそれこそ何年も前から考えていて今回やっと実現しました。新田次郎著「孤高の人」な何回か読んでまあ、いわば岳人のバイブルですよね。文太郎の故郷浜坂の街をブラブラ見て、記念図書館を是非見たいものだとずっと考えていて今回行くことが出来ました。今回のこの山陰ツーリングの1番の目的はここ浜坂に行くこと、余部鉄橋を見ることでした。この辺から今回の山陰ツーリングのメインの部分に入って行きます。

■走行コース図

■走行レポート

昨日、力尽きて撃沈した道の駅「ポート赤碕」です。
ウ〜〜〜〜ン、朝早く出て、それでも目的地に着けなかった事ってあまり記憶にありません。計画がちょっと厳しかったのか?
自分に甘えが出てしまったのか?夜は自問自答して悶悶とした夜を過ごしました。

朝、今日は距離はそれほどないので気分的には楽です。
張り切って朝食を作って撤収して6時に出ました。

で昨日は向かい風でしたが、今日の朝は、なんと!!
追い風に変わっています。アラ?なんで???

昨日は40×22がやっとでしたが、今日は朝から48×16が面白いように廻ります。快適快適、ビュンビュン飛ばして行きました。

昨日の予定地の道の駅「大栄」です。
なんと!!15分で着いてしまいました。

ここですが、道の駅第1号だそうです。ここから全国に道の駅が広まって行ったそうです。

で、コナンのブロンズ像が建っています。
その理由は・・・・・

ハイ、名探偵コナンの作者、青山剛昌氏の故郷はこのあたりで青山剛昌ふるさと館なる記念館もあります。

ウ〜〜〜〜ン、寄って行きたい所ですが・・・・この時間では閉まっています。残念ながら見られませんでした。娘や息子はコナンが大好きですね。

フッフッフ・・・・(笑)

追い風がこれほど楽とは・・・・・・
左手に日本海を見ながら快走します。

私のCAMPINGは700Cですが、このような快走する場合には威力を発揮します。

700CのCAMPINGはもっともっと増えても良いのでは?と個人的に思っています。

ちょっと逆光で見難いのですが、鳥取市に入りました。

鳥取は過去に大山登山で来たことがあります。鳥取砂丘もこの時に寄りました。もう20年近い前ですね。

「おまえ、どこ行ってきた?」
「ハワイ」
「えっ?ホント?」
「鳥取の・・・・・羽合」
「ナア〜〜〜〜ンダ!!」(笑)

受けなかったようで・・・・・

鳥取の羽合付近です。時々笑い話や漫才のネタになりますよね。
しかしながら・・・・海岸線はきれいです。

魚見台という、小高い見晴らし台。
ここから昔の人は魚の群れを見つけたそうでこの名がつきました。

下って行くとすぐ浜村温泉があります。

魚見台から見た浜村温泉方面。

結構海抜は高かったですね。左手の方は日本海が広がっています。この先しばらく走ると鳥取市です。

この絵だけ見ると映画「アラビアのロレンス」みたいですが、有名な鳥取砂丘です。大山登山の帰りに寄ったので都合2回目ですね。

鳥取砂丘でお昼になったので・・・・土産屋でお昼にしました。
メニューを見てみると・・・・・なんとうな丼があります。
早速所望しました。

出てきたら・・・・・うなぎが大きい!!
私の地元の津のお店のものとは全然違います。
でもまあ、味は悪くはなく美味しく頂きました。

暑い〜〜〜〜〜〜〜!!

当日は良い天気で凄く暑かったです。
食事後、砂丘に行ってみると・・・・・数頭のラクダがいました。乗るのはちょっとおっかないですが、写真は撮りたいなあ・・・と思いました。

1回\100でシャッターを押して頂けます。
カメラを預けて・・・・・ハイ、チーズ!!

ラクダって・・・・大人しい生き物です。

砂丘を浜坂方面に行ってすぐの所です。

周りはナシ園、ナシ園、ナシ園・・・・・です。
そう、このあたりは20世紀ナシの産地。

何を隠そう、私の大好物です。秋になったら毎日ナシナシナシ・・・・・です。(笑)

おお〜〜〜〜!!兵庫県に入りました。

このあたりの道は「但馬漁火ライン」というそうです。
結構UPダウンがあってキャンピング車にはちょっときつい道でした。

写真の場所は丁度峠になっていてこれから下りです。
下って行くと諸寄、そして・・・・・浜坂の街です。


よっしゃあ〜〜〜〜〜!!

その下りの途中です。

向こうにきれいな日本海が見えていて気持ちよく下って行きました。

下りで気をつけないといけないのがサイドバッグの外れですが、今回からゴムフックをつけていますので1回も外れませんでした。

さあ、このトンネルを抜けると浜坂です。

期待が膨らんできました。フッフッフ・・・・(笑)
でこのトンネルは良いですね。右側に自転車歩行者用通路が別にしてあります。

トンネルは・・・かくありたいですね。

浜坂の入り口にて。

オオ〜〜〜〜〜ッ!!
なんと新田次郎「孤高の人」の1部分の文学記念碑です。

モデルとなった加藤文太郎は実在の人物で、大正末〜昭和初期の日本の登山黎明期の多分1番有名な人ではないでしょうか?
山歩きを始めた'86年あたり、この本の存在を知って上下2冊買って食い入るようにむさぼり読みました。

その時からいつかは文太郎の故郷の浜坂には行ってみたいものだと思っていて今回やっと行けました。

昭和11年1月6日、厳冬期の槍ヶ岳で文太郎は遭難して亡くなっています。結婚して1年、娘の登志子はまだ1歳になっていませんでした。今お元気なら74歳になっていますね。

妻の花子さんは昭和54年12月に71歳でお亡くなりになりました。結婚して1年で未亡人となり、女手1つで娘・登志子を育てたのでした。

ひょんな事からお墓に行けて感激でした。
なにしろ岳人の憧れの人のお墓です。
随分長いこといたような気がします。

お墓はちょっと分かりにくい場所にあります。
右側は加藤家の墓。左は文太郎と妻花子の墓です。

何回か読んでもうボロボロになった新田次郎「孤高の人」。

浜坂へ行くならば是非一読してから行くことをお勧めします。
もう感激度が全然違ってきます。槍ヶ岳は2回登頂していますが、いずれも夏山です。厳冬期の北鎌尾根は相当経験を積んだパーティーのみが許される世界です。

新田次郎は富士山測候所勤務の時に加藤文太郎本人に会った事があるそうです。

文太郎の妻花子の墓。

私は全然知りませんでしたが、昭和54年12月にお亡くなりになっていました。
文太郎は故郷浜坂でお見合いをして地元の網元の娘・花子を見初めて昭和10年1月に結婚します。

「孤高の人」に文太郎と花子の出会いの場面が描かれています。

・・・・父が故郷浜坂で心労の為倒れてしまって文太郎は神戸から浜坂へ戻って行き、看病のあとふっと足が街の宇津野神社の方へ向いた。
石段の途中まで降りると1人の少女が鼻緒が切れた下駄を持ってしょんぼり立っていた。文太郎は「どれ、こっちへよこしなさい、僕が鼻緒をすげかえてあげよう」と言って腰に下げていた手ぬぐいを破って鼻緒を立ててやった。少女はにっこり笑って恥ずかしいのか、小首をかしげて「ありがとう」と言った。


それから10年が経ち、少女はもう大人になっていた。母の紹介でお見合いをすると「あの時の・・・・」肩揚げのメリンスはもう着ていなかったが、あの時の黒い瞳はそのままだった・・・・・

このあたり描写はすごく上手ですね。思わず引き込まれてしまいました。

加藤文太郎記念図書館は生憎休館日でした。

せっかく遠くから来たのに・・・・・・・・!!!
世の中うまく行かないようです。諦めて出直すことにしました。

浜坂駅です。

今日の宿はまだ決めていません。洗濯がしたいので、どこか安いビジネスホテルにしようと考えました。

そしたら近くにビジネス旅館の芦屋荘さんがありました。
今日はここに泊まる事にしました。

ここからあの文太郎も汽車に乗って行ったのかと思うと感慨深かったです。

ビジネス旅館の芦屋荘さん。

とても親切で良い宿でした。
懸案の洗濯は・・・・・なんとやって頂きました。

「洗濯物持って裏へ廻って来て下さい。」
「この洗濯機の中へ入れて下さい。」
「後はやっておきますから・・・」

夜8時過ぎですかね、全部持ってきて頂きました。
いや、何から何まで・・・・・

芦屋荘の方々、お世話になりました。この場をお借りしまして厚くお礼申し上げます。


夕飯は近くのお店で天ぷら定食を頂きました。今日は・・・・・
文太郎の墓も行けたし、良い1日でした。

■5月15日のレポートは次へをクリックして下さい。

2009.5.28