私の山陰ツーリング2009 完結編

植村直己冒険館入口、凄く変わった入口だと思いませんか?これ、氷のクラックをイメージしているそうです。

当日訪れた順序は逆になりますが、お次は世界の冒険家植村直己氏です。日本人初エヴェレスト登頂や世界初5大陸最高峰登頂、アマゾン川イカダ下り、犬橇によるグリーンランド〜カナダ1万2千km冒険旅行、北極点到達、グリーンランド縦断・・・・パッと思いつくだけでこれぐらいすぐ出て来ます。彼は兵庫県豊岡日高の生まれで家は農家、明治大学での専攻は濃学科農産製造学科でしたが入ったクラブが体育会系の山岳部で「同じ釜のメシを食えば仲間も出来、充実した大学生活が出来るだろう・・・・」ぐらいの軽い気持ちで入ったのが運のつき。最初は厳しいトレーニングに明け暮れて涙することもありましたが、次第に山への憧れ、情熱に目覚めます。同じクラブ員がカナダでオーロラを見てきた話を聞いて「ヨシッ!!俺も世界の山を登りたい」との夢を胸に'64年5月、110$(4万円)を持って移民船アルゼンチナ丸でアメリカに渡ります。ここから世界の冒険家への道が始まるのでした。

■植村直己冒険館訪問記

私の所有する植村直己氏の本。

最初の本。生い立ち、それから明治大学に入って最初は春の白馬岳からスタートしますが、やがて山への憧れ、情熱に目覚めます。友人がカナダでオーロラを見てきた話を聞いて世界の山を登ってみたいと思い、アルバイトをして船賃をためてアメリカへ行きます。

まず'66年7月ヨーロッパの最高峰モンブラン登頂、ついで同年10月アフリカキリマンジャロ登頂、次に'68年2月南アメリカアコンカグアに登頂、そして'70年5月、解禁になったばかりのネパール側からのエヴェレストに日本人初登頂、最後に'70年8月北アメリカマッキンリーに登頂、ついに世界で最初に5大陸最高峰に登頂します。


彼の生き様ですが、普通の日本人とはかけ離れて破天荒で突拍子も無く、劇的で、どう表現してよいやら分かりません。とにかくスケールが大きくて世界を舞台に所狭しと大活躍しました。当然独身を貫くか・・・・と思われましたが、'74年、野崎公子と結婚。公子夫人は今もお元気で冒険館にも時々見えるそうです。

2番目の本ですかね?

個人的にはこの本が1番面白かったです。'72年9月から1年間、言葉や文化も全然違うグリーンランド・エスキモー部落シオラパルクへ極北の生活に慣れるのと犬橇の技術を身につける為住みます。どうやって意思疎通をしたか、どんな方法で友人知り合いを増やして行ったか、このあたりに植村直己氏の人となりがよく現れていると思います。

ある時、エスキモー人夫婦のイヌートソアとナトックに気に入られ、養子となってしまいます。心強い味方が出来て犬橇技術もメキメキ向上、遠くに1人で犬橇を駆って走り回ることが出来るようになります。これが北極やグリーンランド行きで決定的な大きな力となったのでした。

この本でグリーンランドエスキモーの人々の暮らしぶりや価値観、人生観などが非常に良く分かる貴重な本になっていると思います。植村直己氏はたった1年間でエスキモー語を習得、何不自由なく現地の言葉でおしゃべりが出来るようになったのには驚かされました。


'グリーンランドシオラパルクに1年間住んで犬橇も自由自在に操れるようになり、74年12月念願だったグリ−ンランド〜カナダ2年間に渡る大冒険に出ます。グリーンランド南のヤコブスハウンを74年12月出発、カナダ・コツビュー到着は'76年5月、2年半に及ぶ大冒険旅行でした。

北極海は凍る冬しか走行出来ず、夏はカナダで越夏します。その為2年かかってしまったのでした。この旅で白熊に襲われます。寝ているところに白熊の荒い息音が・・・・

食料は自給自足であざらしなど取っています。どうやって取ったのか、興味深いですね。この北極圏1万2千kmと北極グリーンランド単独行は植村直己氏じゃないと出来ない大冒険だと思います


10数頭の犬で橇を引っ張るのですが、1頭1頭の名前、特徴を覚えていて全部見分けることが出来るのには本当に驚きました。でくせや性格、仲の良い犬や悪い犬など把握していて橇を引っ張る際の位置取りにも細心の注意を払っていたそうです。

この'78年の北極グリーンランド単独行は非常にお金のかかった企画でした。
前人未踏、単独では植村直己氏が世界初でした。映画でも描かれていますが、膨大な資金を集める為に後援会を発足、1口千円の街頭募金をして出発間際に2万円パーティーを開催してなんとか資金を集めます。パーティー開催の時の挨拶の言葉が「私は泥棒です」でした。

当然各方面からは批判が相次ぎました。「他人の金で冒険をするのか」などと厳しい言葉も浴びますが、彼は自分の信念を貫き、自分を信じてついに世界初単独北極行とグリーンランド縦断を成功させたのでした。映画では公子夫人と心の葛藤をよく描いていると思います。

植村直己氏は3回、エヴェレストへ遠征していて最初の'70年5月、日本山岳会のエキスぺディションでは見事松浦隊員と共に日本人初登頂に成功します。
'71年2月の2回目の国際エヴェレスト登山隊では役割や荷揚げなどの内紛トラブルで隊は分裂、遠征は失敗に終わります。
'80年〜81年のかけての3回目の日本冬季エヴェレスト登山隊では実績を買われて隊長になり、登山隊を指揮しますが、相次ぐトラブル、隊員の死や悪天候で登頂を断念、やむを得ず日本に戻ります。

この3回のエヴェレスト遠征の様子や世界最高峰エヴェレストへの思いが綴られています。'84年、植村氏はカナダ・マッキンリーへ登山に行って消息を絶ちますが、この本が最後の執筆となったのでした。

植村直己冒険館の入口には大きな写真が飾ってあります。ひたむきで、努力家で、情熱的で、一生懸命で、まじめで、冷静で、それでいて誰にも出来ない事をやり遂げても自慢したりせず、常に謙虚で誰からでも愛された・・・・・・植村直己氏はそんな人でした。

’64年、アメリカ経由でヨーロッパ最高峰モンブランに登頂しようと
シャモニーの街を出発、順調に高度を稼いで行きますが・・・・・

途中、 雪を被って見えなかったクレパス(氷の割れ目)に落ちてしまいます。幸い、ザックが引っ掛かって下には落ちずに宙ぶらりんの状態でした。

落ちたのはわずか2m程。自力で這い上がって「もしクラックの幅が広くて下まで落ちてしまったら・・・・・」と考えたら背筋がゾー〜〜〜〜〜ッとしたそうです。

まだまだ経験不足だ・・・・と考え一旦下山して次のシーズンまで待ったのでした。
この入口はそんな最初の生死の分かれ目、モンブランのクラックをイメージしているそうです。

このソリは北極行きとグリーンランド縦断の際使用したもののレプリカですね。本物のソリは正面に飾ってあります。

グリーンランド縦断では犬の負担を減らす為、追い風の場合は帆を上げて推進力に利用しました。前人未踏の縦断約3500kmを3ケ月と10日で成功しています。

そばにあったテントです。実際に使用したものでしょうか?
極北での使用ですのでもっと大きくて防寒のために何重にもなってないととても使用できない?

大きな植村直己氏の写真の前で記念撮影。

いや、この冒険館は何年も前から来たいなあ・・・・と考えていて今回やっと訪ねることが出来て良かったです。

明治大学時代の装備。

「青春を山に賭けて」によると・・・・装備のほとんどは先輩からのお下がりだったそうです。当時のザックはまだキスリング(横長の日本の伝統的ザック)で靴も本革製のごつい作りの靴でした。

雪歩き用「かんじき」も当時はまだ竹製でした。今ではアルミパイプ製でより進んだスノーシューなんかが発売されています。

山岳ノ−トです。

几帳面らしい一面が伺えます。明治大学1年生の時はシゴキで大変だったそうです。荷物は先輩より余計に持って食事から後片付け、先輩の身の回りの世話、寝るときはテントの入口付近・・・・という具合でした。

横長のキスリング。

当時の日本ではまだまだこれが幅を利かせていました。今では体の幅に合わせたアタックザックが主流になっています。

廃れた理由は・・・・1番の理由は狭い場所ですれ違いが大変だったからだそうです。このザックで一杯に荷物をパッキングすると体の幅よりも出てしまいました。

従って狭い山道ですれ違いは大変だったのが想像されます。私が山を始めた時はまだ売っていました。

'78年北極行きの際に使用したデュラルミンケース。

これは主に貴重品や現在位置を測定する六分儀などを入れたと推定されます。

何も目標物がない氷の平原で現在位置を測定するのに六分儀は欠かせない装備でした。

植村直己冒険館のピンバッジ。

記念に1つ買いました。ここには世界の冒険で使った本物の装備品がずらっと展示してありますが、残念ながら撮影禁止でした。従ってどうしても見たい方は実際に行って見てきて下さい。

ここ豊岡日高町はとても面白くて「世界の冒険家が通った小学校」とか「世界の冒険家が誕生した街」という看板が所々にありました。豊岡日高町は・・・・植村直己氏で持っている街に見受けられました。


これも・・・・・勿体無くてパネルにして飾っておこうと考えています。冒険館で買ってきた植村直己氏の絵葉書。

■編集後記

まあ、この2つの博物館は本当は山陰ツーリングの途中に寄って見てこようと思ったのですが、前出の理由により見られませんでした。
どうでしょう、今回の山陰ツーリングで1番見たかったものでそれだけに2つとも見られなかったというのは非常に残念という他無く、日が経つにつれて一層見たくなりました。「やはりこれは行くしかない」と思い、6月7日に車で行ってきた次第です。よく質問で「貴方の尊敬する人物は?」と聞かれますが、私の場合はこのお2人と言うことが出来ます。理由はいろいろありますが・・・・・

■単独行ということ
大きなスケールの独創的な山登りや冒険(自転車ではツーリング)でやはり団体では個人個人の存在価値、意義が人数分の1になってしまいます。このお2人はたった1人で全ての準備から手配、走行、修理、交渉など全部やり遂げています。これでこそ「全部自分1人で行った」と誇れるのではないでしょうか?私も年に1回の長距離ツーリングではこれからも1人で行う予定です。

■他人の真似でない、独創的な方法、やり方を自分なりに持っている事
2番煎じという言葉がありますが、すでに他人のやった方法で真似しても価値はありません。誰もやってない方法、コース、季節などたとえば加藤文太郎氏はトレーニング方法であったり、携帯食料であったり、まだ誰も行ってない季節(厳冬期)の行ってないコースだったり、植村直己氏は誰も行ってない犬橇による長期単独グリーンランド〜カナダ冒険旅行だったり、前人未踏の単独北極〜グリーンランド縦断だったり、装備なども独自に工夫して最悪な状況下であってもなんとかなる様にしていました。

このお2人の方法、やり方は自転車ツーリングにも充分通用して当てはまるのではないでしょうか?他人の真似でない、独創的な方法やコース、装備なども独創的なやり方、方法で常に向上心を持ってツーリングに臨みたいなあ・・・・と常々考えています。最後まで見て頂いて有難うございました。

2009.7.10