私の山陰ツーリング2009 完結編

山陰ツーリングでは休館日だった加藤文太郎記念図書館。2回目の訪問でやっと見られました。

今回の山陰ツーリングではほぼ順調に走行出来て予定の日数で予定のコースはほぼ走れて良かったと考えています。しかしながら・・・・・
最後の方で予定していた加藤文太郎記念図書館と植村直己冒険館はそれぞれ休館日と走行コースの変更により見られませんでした。なにしろ今回のメインの見学場所です。無事に家には帰り着きましたが、心の中ではやはり悶々としたものがありました。ヨシッ!!日を変えて見に行ってこようかと思うまでに時間は掛かりませんでした。走り終わったのが5月18日、行ってきたのが6月7日でした。やはり・・・行って来て良かったです。一応まだ岳人だと自負しております。昭和初期の超人的な岳人の加藤文太郎氏と国民栄誉賞受賞の世界的冒険家植村直己氏については皆さん良くご存知だと思います。このお2人の記念館は今回是非訪ねてみようと考えていました。2回目でようやく行けて良かったです。それではレポートをご覧下さい。


■訪問日:2009.6.7
■訪問手段:車
■オフィシャルHP:加藤文太郎記念図書館 植村直己冒険館

■加藤文太郎の人となり

加藤文太郎の名前は岳人と自負する人ならばおそらく知らない人はいないと思われます。それぐらい昭和初期の冬山単独行では有名な人でした。山に行く為の創意工夫は想像を絶する程で厳冬期、庭に自作のテントで寝たり近くの惣菜屋で自分で工夫した山用の携帯食料を注文したり石を入れたザックで会社に通ったり空腹の実験をして数日絶食で仕事したり・・・・していたのは有名な話です。山へ行く為に自分を厳しく律していて会社の飲み会は決して参加せず酒タバコもやらず無駄使いは一切しなかったそうです。

■明治38年3月31日浜坂出身
■大正8年 三菱神戸造船所へ入社
■大正14年山歩き開始 最初の登山は白馬岳、富士山
■昭和4年冬山に目覚める 最初は八ケ岳
■昭和6年 猪谷〜上ノ岳〜薬師〜黒部五朗〜三又蓮華〜烏帽子〜濁〜大町
10日間の北アルプス厳冬期単独縦走を成し遂げる
■昭和9年 花子と結婚
■昭和10年 長女登志子誕生
■昭和11年1月 槍ヶ岳北鎌尾根で遭難 


左は貴重な唯一の著書「単独行」です。岳人のバイブルと言うべき本です。

新田次郎著「孤高の人」です。
モデルは実在の人物、加藤文太郎です。遭難後、新田次郎氏が花子夫人に加藤文太郎の生き様を執筆して世に出したいと言うと花子夫人から「夫の名前は実名にして下さい」と言われたそうです。登場人物やお店、会社名などは仮名になっていますが、主人公は本名になっています。

取材に際して加藤文太郎の上司の遠山豊三朗氏と花子夫人、それと克明な山行記録が残っていたのでそう苦労なく小説が書けたそうです。
まだ映画にはなっていませんが、是非映画化を望みたいところです。

この本を読んで浜坂へ行って加藤文太郎ゆかりの地を巡るのも面白いと思います。

2回目の浜坂駅。太平洋側は晴れていましたが、こちら日本海側は雨でした。

加藤文太郎のレリーフ。

バックは槍ヶ岳になっていますね。
創意工夫をして単独で厳冬期冬山行をつぎつぎ成し遂げて世間や日本の山岳界をあっと驚かせましたが、昭和11年1月、槍ヶ岳北鎌尾根で遭難、31歳の生涯を閉じました。

まだ新婚で娘の登志子はまだ生まれたばかり、将来や家庭の事を考え、この山行きで最後にしよう・・・・と思っていたそうです。


予定の日に帰らず、各新聞は遭難として報道、遺体は4月になって天上沢で発見されました。

加藤文太郎愛用のカメラ、飯盒など。

加藤文太郎は昭和初期にあってすでにドイツ製のカメラで撮影していました。館内は文太郎撮影の写真が多数展示されています。


下は克明な装備表。
今回のコースでは何が必要か詳しく書き出されています。。

加藤文太郎が使用したスキー。

まだ木製の頃の素朴なスキーです。真ん中の短いのは花子夫人のものだそうです。結婚後1年目の冬、花子夫人とスキーに行って一緒に滑ったそうです。


山歩きでも積極的にスキーを使用していました。ストックはまだ竹製ですね。

当時神戸には早くから山用品専門店の好日山荘があり、文太郎はよくそこに通っていたそうです。そこで買ったと思われる文太郎が履いていた靴。

文太郎が神戸に居を構えた時の表札。

達筆な字ですよね。ちなみに花子夫人は字が上手くて達筆だったそうです。この字はひょっとして花子夫人の手になる物かも知れませんね。

遭難当時の各新聞の記事。

各紙大きく取り上げていました。当時文太郎は相当な有名人だったようです。

当時の雑誌に掲載された新田次郎著「孤高の人」。

雑誌は「山と渓谷」でしょうか?この連載を本にして「孤高の人」が
出版されて大きな反響を呼びました。

花子夫人が持っていた遭難当時の新聞切り抜き。

新婚早々で遭難、娘はまだ小さくて花子夫人の心中やいかに・・・・・???

あの人は絶対帰ってくる・・・・・と花子夫人は信じていましたが、現実は厳しく・・・・最悪の結果が待っていました。

山と渓谷 2004年11月号。

特集は・・・・・「単独行と加藤文太郎」になっていました。
山歩きに行っていた頃はずっと購読していましたが、行かなくなってからは買うのをやめてしまいました。

山歩きにおいては単独行はどの本読んでも奨励されていません。というより「やめてください」と書いてある本が多いです。やはり理由はもしもの場合に1人ではどうしようもないから・・・・・ですが、今では携帯電話で山頂から救助依頼をする場合もあるそうです。時代と共にだんだん変わってきていますね。

展示室。

入って左は装備、
右は資料関係になっています。

この当時の装備はまだまだ素朴なものでこのような装備で厳冬期北アルプスに単独縦走した加藤文太郎にはただただ驚くばかりです。

加藤文太郎が写した写真の数々。

山の写真は後年ネガから焼き直したと思われますが、どれもきれいに写っています。

花子夫人、娘の登志子などが写った写真探したのですが、有りませんでした。

ガラスケースの中のアルバムにはあると思われますが・・・・・???

加藤文太郎が克明に記録していた手帳。

まず大抵の登山者の方々は山行の年月日、メンバー、コース、コースタイム、
宿泊場所、食事内容など記録しています。
私も自分の山行の登山手帳は3冊持っていていつ、どこへ、誰と、コース、コースタイム、宿泊場所・食事内容など全部記録しています。
従っていつでもあの山はいつ登ったのかなあ・・・というのはすぐ分かります。

新田次郎氏はこの手帳を見て小説「孤高の人」を書き上げたのでした。加藤文太郎著「単独行」には巻末に全山行の記録が載っています。

入手した絵葉書。

どれも貴重な写真ばかりです。使わずに大事に取っておこうと思っています。

私の人生で最も尊敬する人物の1人です。

■加藤文太郎記念図書館

■植村直己冒険館は次へをクリックして下さい。

2009.7.3