12月13日  郡山宿〜萱野三平邸〜瀬川宿〜軍行橋〜昆陽宿〜甲武橋〜豊乗寺〜JR西宮駅 走行:約27km
 

■郡山宿〜萱野三平邸跡

前回帰った場所から忠実にスタートします。地図の中河原町のあたりですね。

向こう側は京方面。右は茨木駅方面です。

挿入してある地図ですが、おおまかなものです。参考程度にして下さい。

スタートしてすぐのまだ中河原町です。ウ〜〜〜〜ン、いかにも・・・といった良い感じです。この先に郡山宿本陣があります。

旧道は左を行きます。看板がありました。

程なく椿の本陣として名高い郡山本陣です。見学出来るのかなあ・・・・と思ったら人が住んでいました。→

正式名称は摂津郡山御本陣というそうです。

西国街道は東の東海道に続いて往来の多い街道でした。忠臣蔵とも大いに関係があり、浅野内匠頭長矩も元禄十三年(刃傷の前年)にここに宿泊しています。

さらに翌年、元禄十四年四月には赤穂城受け取りの為、脇坂淡路守も宿泊しているそうです。


椿の御本陣と呼ばれていますが、玄関に立派な椿が植えられていたからだそうです。現在の椿の木は後年植え替えられたものだそうです。

椿の御本陣の石碑。西国街道ではただ1軒残っている本陣です。

宿川原のあたり。道は直されていますが、往時の面影が残っています。

大阪モノレールの下をくぐります。

小野原町のあたり。「左京ふしみ」の道標がありました。→

この2枚は小野原町のあたりの写真。ご覧のように西国街道らしい雰囲気が残っています。 この日は天気が曇りで写真の出来はイマイチ。

勝尾寺旧参道の鳥居。大きくてなかなか立派なものでした。

おっ!!萱野三平邸跡にはあと2.4kmです。ボルテージがちょっと上がりました。→

左はR171です。旧道と平行して走っています。この先で合流します。

向こうから走って来ました。左が勝尾寺旧参道鳥居ですね。

多分、1番分かりにくい曲がる場所です。R171を走って来て「萱野4丁目」の交差点を南に曲がってここを西に曲がります。

萱野三平邸跡です。とうとう着きました。いや、感激です。大阪府の史跡に指定されていてきれいに整備されています。入場料は無料。

三平自刃の間。
元禄14年3月14日、浅野内匠頭刃傷事件を知らせる第1番目の使者として早駕籠にて江戸を14日午後に出立、赤穂城へ19日未明に到着、無事に役目を果たします。

4月末には故郷の萱野村へ帰っています。父重利からは大嶋家(父の主人)の仕官を強く勧められ、なおかつ浅野家へ三平を推挙した大嶋家へ迷惑がかかるとして仇討ちのため江戸へ下ることは許しが出ませんでした。

三平はその年の暮れには決意していたのか、12月21日に妹のおつやへ書簡を送っています。そして・・・・前日元禄15年1月13日には嫁いだ姉、小きんを訪ねています。

その日の夜はごく普通に食事もして何事もなく、そして・・・・翌日14日未明、主君、浅野内匠頭長矩の菩提寺泉岳寺を遥拝する形で切腹、28歳の短い生涯を閉じました。その日のうちに京都随光院寺井玄渓宅にいた内蔵助以下一同に知らせが入って驚きと悲しみは大変なものだったそうです。

・・・・討ち入り当日、内蔵助は三平の戒名を懐に入れていました。「我々と共に討ち入って亡き殿のご無念を晴らし、見事本懐を遂げようぞ」。内蔵助は三平を同志として考え、戒名をたずさえて討ち入ったのでありました。

元禄の頃の萱野三平邸の模型。父重利は大嶋家所領地の代官を任じていてこのあたりの有力者でした。

三平の墓。 辞世の句は「晴れゆくや 日ごろ心の 花曇り」 討ち入りこそ出来ませんでしたが、三平の生き様は非常に共感出来る所だと私は感じています。→

■萱野三平邸跡〜瀬川宿〜昆陽宿

いや、恥ずかしながら・・・・

萱野三平邸跡からR171へ合流して瀬川宿へ行くのですが・・・・

このあたりでちょっと道に迷ってしまいました。トホホ・・・・

まあ、すぐに復帰出来ましたが・・・

後は大丈夫でした。こういう旧街道サイクリングでは読図力は必要です。今回迷ったのはこの1回だけでした。

たまには私の写真も載せて見ます。こういう格好で走りました。パスハンターはタイヤ交換して正解でした。萱野三平邸跡にて

街中にこういう昔の建物がポツンとあって面白いですね。桜井のあたり→

西国街道瀬川宿本陣跡です。今は箕面自動車教習所になっています。

上は高架、で阪急線を渡ります。西国街道は真っ直ぐ。

阪急線はまだ乗ったことはないですね。よく見ると・・・・

西国街道踏切道という看板がありました。

昔の風情が残っている石橋のあたり。

この変な物は(笑)航空機着陸用アプローチですね。向こうは伊丹空港です。軍行橋にて。

空港近くの伊丹坂。西国街道の石碑がありました。→

西国街道の看板がありました。大鹿のあたり。このあたりでお昼にしました、今日もコンビニ弁当です。トホホ・・・・

■昆陽宿〜JR西宮駅

さあ、西国街道サイクリングも大詰め。ほぼ間違いなくトレースできました。

最初あまり期待はしてなかったのですが、いや、昔の風情が多数残っていて良い街道です。驚きました。出色の素晴らしい経験だと思います。

もうラストですので気を引き締めて走ろうと思います。

西国街道沿い稲野小学校には西国街道の石碑と地図が飾ってありました。

R171と合流します。西国街道は右。このあたりは案内がきちんと整備してありました。昆陽7丁目のあたり。

寺本一丁目のあたり。ちょっと分かりづらかったですがトレ−ス
出来ました。

甲武橋を渡ります。もう西宮市内です。

この高校は甲子園で有名な報徳学園高校です。西国街道沿いにあるんですね。

PM2時、JR西宮駅に到着、西国街道 京都・東寺〜JR西宮駅完走しました!!'09年最後に印象的なサイクリングが出来ました。

椿の本陣

■編集後記

この'09年はまあ、夏にちょっと怪我をして約2ケ月ばかりブランクが出来ましたが、12月にこのような印象に残る、良いツーリングが出来ました。忠臣蔵歴史散歩シリーズもこれで4回目と言うことで関西方面はほぼ行けたかなあ・・・・と考えています。あの早駕籠が駆けて行った西国街道を実際に行けて非常に良かったです。残るは一番見所の多い東京ですが・・・・これも機会を見て是非泊まりで行きたいなあ・・・・・と思っております。でどうせ行くならば・・・・・東海道は'01年に完走していますが、レポートが出来ていません。内蔵助は元禄15年10月に京都を出立、江戸へ下っていますが、それにちなんで東下りで(前回は京上り)東海道をまた走ってみようかなあ・・・・と思っております。今回西国街道を走ってみて凄く面白く、旧街道熱がまたぞろ出て来ました。東海道は資料はいくつも持っていますので、全然心配はないですね。機会が有ったら西宮〜赤穂間も走りたいと思っております。いや・・・・今回の西国街道はかつてなく良かったです。レポートから感じ取って頂けたら幸いです。最後まで見て頂いて有難うございました。

2009.12.17