忠臣蔵早駕籠が走った美濃路を訪ねて

美濃路はもうすぐ墨俣宿へ到着します。写真は西方寺への道標。このあたりから境川沿いに街道が続きます。

■萩原宿〜起宿

萩原商店街入口アーケードです。ちょっと淋しい感じでした。

萩原宿馬頭観音です。建立は宝暦13年(1763)。

萩原宿には上町下町2つの問屋場がありました。ここは萩原宿上問屋場跡石碑。

今はこの萩原宿本陣跡の石碑が残るだけ・・・・です。

萩原商店街アーケードは向こうで終わっていました。
手前左は本陣跡石碑です。

日光川に架かる「はぎわら波志」を渡ります。もう萩原宿は通過して西萩原へと向かいます。

名神高速のガード下をくぐって・・・・・・

美濃路唯一というよりも日本ででは貴重な江戸時代そのままの姿で残っている富田一里塚です。写真は西塚。ここで昼食としました。

こちらは東塚です。榎もちゃんとあり、街道の両側に往時の面影を今に伝えています。

駒塚道の分岐に立つ道標。右が美濃路で左が駒塚道。尾張藩の家老、石河佐渡守が名古屋へ参勤するためにの道を開きました。「左駒塚道」

一宮尾西歴史民族資料館。今使っている美濃路案内地図を送って頂きました。美濃路に関する展示があります。

こちらは隣の起宿脇本陣です。

■起宿〜墨俣宿

一宮尾西民族歴史資料館。ここには随分お世話になりました。美濃路に関する展示は無料で見られます。

木曽川の通行は普通は渡しですが、朝鮮通信使や徳川家など通行の際はこのように船を多数並べて橋にしていたそうです。

昔の起宿の街並み模型。→

美濃路はご存知の様にベトナム象が享保13年(1728)通過しました。雌は長崎で亡くなってしまいましたが、雄は8代将軍吉宗に献上されています。
江戸の人々は見た事ない大きな象に大変驚いたそうです。

起宿本陣跡と問屋跡。加藤家が起宿本陣を世襲していました。

起宿渡船場跡。渡船場はいくつかありました。ここ金比羅社前と他に宮渡河船橋渡河があったそうです。

木曽川を渡って対岸の羽島側にある伊勢道道標。
向こう側個人邸宅にあります。

「右いせみち」寛永13年(1750)この年はJ.S.BACHが75歳で亡くなった年ですね。

不破一色坂丸一里塚跡。正木小学校内にあります。

おっと、前方では工事中です。仕方なく回り道を余儀なくされました。

起宿と墨俣宿の間の間の宿を勤めた加藤家。

間の宿の説明がありました。→

TOP写真の西方寺案内道標。美濃路は右手から来てこの境川沿いに進んで行きます。春の頃は桜並木がさぞかしきれいでしょうね。

道沿いに比較的新しい案内道標がありました。

東小熊西小熊一里塚跡。

長良川を渡って墨俣宿本陣跡です。ここも今は石碑が残っているだけですしかしながら・・・・・脇本陣は残っていました。

墨俣宿入口美濃路の案内道標。美濃路は真っ直ぐ続きます。→

墨俣宿脇本陣にて。今はギャラリー兼土産ショップになっていました。

墨俣宿脇本陣跡のお店をちょっと覗いてきました。

お次はまだ信長の家来で「藤吉郎」と名乗っていた頃の秀吉が1晩で完成したという墨俣一夜城見学です。この日は無料で見られました。

この墨俣一夜城に関する資料は偶然見つかりかなり詳しく分かっています。その資料を基に再現した当時の墨俣一夜城です。工事は主に夜行われて実際は2晩ほどで完成したそうです。信長はここを拠点にして岐阜城を攻めて美濃を平定しました。

天守閣からの岐阜方面。意外と近くに見えました。

JR穂積駅から輪行で帰りました。今日も・・・・充実していた1日でした。

■墨俣宿〜大垣宿〜垂井宿レポートは次へをクリックして下さい。

2010.11.14