まだ7歳の頃の貴重な写真。撮影場所は愛宕山です。後ろに恒富小学校の校庭が見えています。親父はまだ30代前半です。(一番右が私)

故郷へ・・南九州ツ−リング2011

その昔、延岡城があった城山公園からのわが故郷延岡市。人口は13万ほどの小さな街です。右手の山は愛宕山、目の前の川は五ケ瀬川です。

うさぎ追いしかの山、小ぶな釣りしかの川・・・・・・生まれ育った故郷と言うのは何にも代え難い、いくつになっても心の拠り所となっていて昭和30年代に8歳までいたこの街は懐かしい友人やお世話になった小学校の先生方など想い出が残り、当時のご近所付き合いも愉しい物だったと記憶しています。正月など近所の方々皆さん総出で餅つきをしたり、まだ物資も乏しい頃だったのでお米や塩、醤油など「ちょっとお醤油分けて下さらない〜〜〜〜〜??」なんて隣の奥さんが借りに来たりこちらからお袋が借りに行ったり・・・・なんてことはしょっちゅうでした。当時TVなるものが普及しだして近所の裕福な家にご近所の皆さんが夕方集まって見たのは良い想い出です。一番人気は力道山のプロレス中継でした。TVの普及に拍車をかけたのは昭和34年4月の皇太子御成婚(今の天皇陛下)あたりだったと記憶しています。花車が街を走って・・・・市民全員でお祝いしました。当時少年だった私は紙芝居が毎日来るのを非常に楽しみにしていました。5円で飴を買って見るのですが・・・・???当時の映画は50円、床屋も同じくらいでした。昭和34年あたりの生活ですが、各家庭に風呂はなくて銭湯に通ってTV、冷蔵庫、洗濯機はもちろん(洗濯板、たらいだった)電化製品はまったくなし、電話も近くの家から取次いでもらって、マイカーなんて近所で所有している人は全くいなくて夢のまた夢、映画が唯一の娯楽の何も無い時代でしたが、少年たちは工夫して遊んで何も不自由を感じませんでした。いや、のんびりのどかで大変良い時代でした。

当時の流行歌はこんなんでした。(笑)
http://www.youtube.com/watch?v=KRtEExjhQbY

・・・・あれは8歳の時でした。親父が転勤になり、今の三重に引越しをして現在に至っています。親父は定年退職に伴い長年暮らした延岡で余生を送ろうとまた延岡に帰って家を建てて住んでいましたが17年前に亡くなりました。今はお袋がその実家にいますので九州新幹線が開通したのを機に久々に帰省しようと思いました。帰省にあたり車や公共交通機関ではまったく面白くないのでやはり自転車で、ツーリング計画は年初から考えていて3月、東日本大震災が発生、迷いながらも帰ることにしました。


■日程表
■4月28日  名古屋 8:15発 のぞみ5号 博多11:43着 博多12:09発  さくら413号 鹿児島中央駅13:48着 
桜島フェリーで道の駅櫻島(泊) 走行:約10km

■4月29日 桜島一周〜袴腰〜(櫻島フェリー)〜鹿児島〜道の駅指宿(泊) 走行:約80km

■4月30日 道の駅指宿〜開聞岳登山〜湯の里YH(泊)走行:約30km      湯の里YH  1泊2食付 \4950

■5月1日 湯の里YH〜山川〜(なんきゅうフェリー)〜根占〜伊座敷〜ロードパーク〜佐多岬〜大泊キャンプ場 走行:約40km

■5月2日 大泊キャンプ場〜根占〜鹿屋〜道の駅くにの松原おおさき(泊) 走行:約85km

■5月3日 道の駅くにの松原おおさき〜志布志〜串間〜日南海岸〜宮崎秀坂旅館(泊) 走行:約100km

■5月4日 宮崎秀坂旅館〜高鍋〜日向〜延岡 走行:約100km                       全走行距離: 約445km
※ファイルが出来上がったらリンクになります。

延岡市のシンボル、旭化成ベンベルグ工場の巨大煙突です。これと愛宕山を見るとああ延岡だなあ・・・・と思いますね。

昭和34年度新入学当時の写真。中央の先生が担任の平川先生です。お酒が大好きな先生でやさしい先生でしたね。同窓会なんかやったらさぞかし・・・・・面白いと思うのですが。今みんなどうしているかなあ・・・・・???

小学校2年生の3学期、2月まで通った恒富小学校です。当時は木造で校庭は広かった記憶があります。今は関係者以外は立入り禁止なのが淋しいですね。

'04製 TOEI 700C CAMPINGです。普段は4サイドCAMPING車として使用していますが、今回は一週間程度、期間も短いので2サイド+Fバッグ仕様で走りました。これでもキャンプ道具一式、炊事道具一式、着替え、洗面具、雨具、工具一式やスペア部品他入っています。今回から携帯式フロアポンプ、PETボトル500mlケージなど使用してみました。テントポールは左側シートステーに取り付けています。食料はコンビニ等で全て現地調達とし、一切携行してないです。

■今回 使用したマシン

昭和36年2月、親父の転勤に伴いこの延岡駅からまだ見知らぬ三重へと旅立ちました。当時はまだSL全盛で夜通し走って2日がかりでようやく関西線の「亀山駅」へ到着しました。大阪あたりでTVのアンテナが多数立っていて「おっ!!大阪って凄いんだ!!」と非常に驚いた記憶があります。・・・・実家には2日間いてお袋にはまたまたお世話になってしまいました。昔の少年時代の生活を想い出してしまいました。

今は公園になっていますが、延岡市永池町のここ(今は大瀬町)にアパートが2棟建っていて南側の棟に住んでいました。長屋風のアパートで6畳2間、でここに家族5人で住んでいました。お風呂が遠くて・・・・冬場は帰る際なんか湯冷めをしてしまいました。

■わが故郷延岡

■走行コース図

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2011.5.13