朝鮮人街道を訪ねて

朝鮮人街道全体図。江戸時代には計10回朝鮮通信使がこの街道を歩きました。もっともっと見直されても良いと思っています。

■朝鮮人街道とは?

日本に一番近い国は今の韓国、昔は朝鮮と呼んでいましたが、中国がまだ「隋」「唐」と呼ばれていた時代から遣隋使、遣唐使が日本から派遣されて日本⇔朝鮮半島を行き来していました。そして当時の先進国だった中国から多くの文化が朝鮮を経て日本にもたらされました。一番身近な物は「漢字」でしょうか?秀吉の時代、不幸にも2回の朝鮮へ出兵、両国の関係は悪化してしまいました。家康は秀吉の対朝鮮政策を批判して国交回復を図っています。そして友好のあかしとして慶長12年(1607)最初の朝鮮通信使が来日します。

通信使は三使(上使、副使、従事官)の他に学者、医者、書家、医師など計500人にもなったそうです。ソウルを出発した一行は釜山から船路で大坂へ、淀川からは川御座船に乗り換えて京伏見あたりに上陸、東海道を下って野洲からは近江八幡〜安土〜彦根〜鳥居本宿からは中山道を行き、大垣からは美濃路を宮へ、後は東海道を江戸まで行ったそうです。一番の目的は朝鮮国王の国書を徳川将軍に伝える伝名の儀・・・・でした。一行は江戸に20日〜一ケ月ほど滞在したそうです。

このソウル〜江戸へのルートのうち、野洲〜近江八幡〜安土〜彦根〜鳥居本宿までの約41kmを特に「朝鮮人街道」と呼んで今に至っています。このルートは信長が安土城築城の際、京へ一番近い道なので本街道として整備し、また家康が関ケ原合戦で勝利して京へ上洛する時にも使われています。
朝鮮通信使がなぜ中山道を使わずにこのルートを選んだのか?は諸説いろいろあります。家康の天下支配の吉例の道・・・だからとか、中山道に較べて彦根や近江八幡など500人にもなる一行の宿舎、人馬など調達しえる大きな町が有ったから・・・・などと言われています。

■走ろうと思ったきっかけ

まあ、たまたまですが、クラシックロード走行会で近江八幡へ行ったのがきっかけです。以前からこの街道の存在は知っていましたが、街道案内板を見て走りたい・・・・という思いにかられました。それ以降、資料を集めて地形図も揃えて行く機会をじっと待っていました。

■ツーリングレポート

4月16日 野洲〜十王町〜近江八幡〜安土〜能登川
4月20日 能登川〜彦根〜中山道鳥居本宿

※レポートが出来たらリンクになります。

■走ってみて・・・・感想など

この街道は比較的短く、約41kmです。1日で走るのも悪くありませんが、私の場合2日に分けて走ることになってしまいました。スタートの野洲で道標を置いてある蓮照寺や見所の多い近江八幡、はたまた彦根市内、彦根城周辺などには往時の町並みや見学したい場所が数多く残っています。1日でさ−っと通り過ぎて行くのはちょっと勿体無いですね。またガイドなしで地図初見で1日で旧道を正確にトレースするのは至難の業だと思います。
走ってみて野洲〜能登川までは比較的多くの朝鮮人街道の案内板が有って愉しめました。能登川以北も出来たら昔からの由緒ある旧街道なので案内板整備や貴重な文化財保護など是非お願いしたいなあ・・・・と思っております。旧街道に興味のある方には是非お勧めしたいと思います。今回走ってみて旧街道熱が(笑)またぞろぶりかえして来ました。非常にに良い経験だった・・・・と考えています。

■参考資料

彦根東高校の新聞部の方々が長年に渡ってこの朝鮮人街道の旧道を調べ上げ、この本を出版されました。

労作だと思います。唯一今手に入る朝鮮人街道のついての貴重な資料だと思います。



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■国土地理院 2万5千地形図

「野洲」 「近江八幡」 「八日市」 「能登川」 「彦根西部」 「彦根東部」

■地図センター

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