朝鮮人街道を訪ねて 4月20日 能登川〜彦根〜中山道鳥居本宿

2008.4.27

近江鉄道鳥居本駅。JR彦根駅に接続しています。

中山道鳥居本宿は合羽屋で有名です。

高架の下、踏み切りを横切って旧道は延びています。

地下道をくぐって・・・・・

高宮口御門跡。かつての彦根城の広さがうかがえます。

もう彦根市内。久左の辻。街道はここで西に
曲がります。

西今町のあたり。彦根の入り口ですね。右が朝鮮人街道。案内はありません。

堀町のあたり。なんとなく面影が残っていました。

「右千手寺」 「左八まん」 街道沿いの道標。

20日の今日、街道沿いはどこもお祭りでした。国旗が掲揚されています。

駅前の観光案内所で朝鮮人街道の事を聞きましたが、凄く親切な方で恐縮してしまいました。

今日のスタートは能登川駅から。

山崎山のあたりにて。かつて朝鮮通信使が休息した茶屋があったとされる場所です。このカーブの具合が旧道らしいですね。

往時の面影が残っている絹屋のあたり。→

荒神山への道。立派な道標が建っていました。

突き当りを曲がるあたりに茶屋があったそうです。このあたり?

■能登川〜山崎山

道標の場所は・・・・芹橋のたもとです。

彦根で見かけた唯一の道標。

■山崎山〜彦根〜中山道鳥居本宿

山崎山は地図に名前は載っていませんが、荒神山の隣の山です。

守山宿を出発、近江八幡で昼食を摂った一行は今宵の宿は彦根泊りだったそうです。約40km歩いています。翌日は赤坂宿まで・・・・といった具合でした。

一行の行列は「清道」と書かれたのぼり先頭に笛や太鼓、ラッパなど吹き鳴らして賑やかに行進して行ったそうです。

徳川幕府や各藩の歓迎や、民衆の熱狂振りの反面、街道の整備や費用負担(各藩にて負担したそうです)などは大変だった・・・・そうです。

このあと中山道を走って帰りました。

近江鉄道駅前にはあのサンライズ出版社がありました。
「朝鮮人街道をゆく」の出版社です。

とうとう朝鮮人街道を完走!!右が朝鮮人街道、左は中山道です。2日がかりでした。ほっ!!

旧道は通行困難の為トンネルを行きます。

石田三成の居城だった佐和山城。(復元)

朝鮮人街道名残の松。この松の近くに通信使が飲んだ井戸が有るということでしたが・・・・???     →

鳴宮天満宮にて。ここで旧道は西に曲がります。

天満天神宮。立派な神宮がありました。ちょっと休憩して行きます。

山崎山を廻って彦根を目指します。新緑がきれいでした。

左の山が荒神山、正面の山が山崎山です。このあたりもスーッと流して行きました。

途中で見かけた小さな地蔵?唯一往時のものらしい?

今日はあまり往時の面影の残ってない道です。こういう道はスーっと流して行きます。

彦根市内の朝鮮人街道。一歩裏道になっていました。

彦根は井伊直政が関ケ原合戦の功により佐和山城に入城しましたがその後彦根に城下町を開きました。

徳川家の信任が厚かった井伊家は以後一度の国替えも無く、その後明治維新まで彦根を長きに渡って治めました。


近江八幡で昼食を摂った朝鮮通信使の一行はこの彦根で泊まったそうです。

※たとえば佐和山の旧道はトンネルの上を行っていますが、通行困難の為トンネルを行くようにして表示してあります。


編集後記

延べ2日かかってしまいましたが、愉しく朝鮮人街道を完走することが出来ました。以前から名前は知っていていつかは走りたいと思っておりましたが、今回になってしまいました。やはりなにかきっかけがあると実行は早いですね。今回は良い資料本があって助かりました。
これがなかったら多分、行けなかったと思います。今は簡単にPCから注文できるので入手は簡単になって良いと思います。またぞろ昔のような旧街道熱が復活して来たような感じがします。また・・・各方面の旧街道走りたいと考えております。最後まで見て頂いて有難うございました。