軍都鈴鹿 戦争遺跡歴史散歩                                       2013.7.20

かつての海軍工廠正門に有った銘板。本来は今の旭化成と鈴鹿ベルシティとの間の交差点付近でした。現在は旭化成南側にこの銘板が移設されています。長い間地元に住んでいますが今回初めて見ました。

わが街鈴鹿ですが、太平洋戦争中、なんでも海軍工廠というものがあって、凄く広い工場だったそうです。で名古屋に三菱重工があって、例の零式艦上戦闘機を造っていて、出来上がるとここ鈴鹿までまず飛んで来てそれから各地の航空基地へ配属なった・・・・という話を聞いていました。今から思うと三菱で完成した零戦は多分機銃はまだ未装備で、機銃関係はここ鈴鹿工廠で造っていましたから多分鈴鹿で取り付けて最終チェックをして横須賀なり鹿屋なりの海軍基地に配属になったのでは・・・・・と想像しています。鈴鹿海軍工廠では主に航空機関係(零式艦上戦闘機など)の機銃、弾薬、信管(爆弾)や雷管(魚雷)などを製造していたそうです。・・・・・・・小さい頃からわが街鈴鹿はそういう一大軍需産業の街だったというのをなんとなく知っていて、今回初めてその遺跡をブラッと走ってみることにしました。住み慣れた地元鈴鹿ですが、新しい発見があっていろいろ考えさせられることが多かったです。

■走行:2013.7.13
■コース:
荒神山〜火管圧填工場跡〜火薬庫跡〜海軍工廠銘板〜B29爆撃慰霊碑〜山の手機銃試射場跡〜海軍航空隊正門跡〜掩体壕
走行距離:約30km


■鈴鹿戦争遺跡MAP    ←クリックして下さい。

■荒神山観音寺

最初に訪れたのはここ。ご存知、浪曲の名人広沢虎造の「血煙荒神山」の舞台です。地元の人間としてはやはり入手しておくべきと思いました。神戸の長吉と桑名の穴太徳との間で賭場の縄張り争いが発端です。

近くの松の木から撃ったとされる銃の弾痕。今も生々しく残っています。右は助っ人の吉良の仁吉の碑。なおこの運筆は浪曲家広沢虎造氏の手になるものです。

高神山観音寺。一見極普通のお寺にしか見えません。例の決闘の事は看板が1つあるだけでちょっと淋しい・・・・・???鉄砲の弾痕は右手の鐘突き堂の柱に残っています。

■火管圧填工場跡

今も当時のまま現存しています。ここで機銃弾の火薬の充填作業など行なっていました。

今も現存する火薬庫。圧填工場のすぐ近くにあります。複数あります。

←圧填工場の入り口付近。出来たら見学などさせて頂きたかったのですが・・・・・???

■鈴鹿海軍工廠銘板

この付近一帯は昭和17年から20年まで海軍工廠の置かれていた所である。その後一時この地の大部分は農地に転用され、食糧の増産が図られたが、経済の伸展によって次々と大工場が進出し地域の発展を促したのである。発展した経過を省みる時かつての鈴鹿海軍工廠がこの地域の今日の発展の礎といえよう。この事実を末永く記憶にとどめるため、当時の正門の銘板をここに残す。         昭和50年8月 鈴廠会

鈴鹿海軍工廠銘板。もちろん本物です。現在は旭化成の南側にあります。全然気がつかなかったなあ・・・・

■B29 爆撃慰霊碑 「平和の礎」

わが街もB-29の爆撃を受けていました。このモニュメントも今回の新しい発見でした。場所は鈴鹿ハンター南側弁天山公園です。

■山の手機銃試射場跡

鈴鹿リサイクルセンター内に現存しています。リサイクルセンターが出来る前はそれこそ7.7mm12.7mm機銃弾や薬莢が多数そこらへんに埋まっていたそうです。現在は全て撤去済み。本来は屋根が有ったのでしょうか?コンクリートの厚さは1m程もありました。試射場はこのほかにもいくつかあります。

弾痕らしき穴が確認出来ました。

鈴鹿リサイクルセンターを入れて撮影してみました。結構大きいです。→

■鈴鹿海軍航空隊正門跡

海軍工廠で造った機銃はここで試射をしていました。その後戦闘機に搭載されました。

鈴鹿海軍航空隊の正門の有った場所。向こうの建物は鈴鹿医療科学大学白子キャンパスです。正門はつい最近まで現存していました。右の小さな建物は立哨(見張り)の詰所だった所です。ウ〜〜〜〜ン、工事が終ったら元に戻るのか???

去年の春までNo3No4No5格納庫が現存していました。ウ〜〜〜〜〜ン、来るのがちと遅かったです!!!今は全て取り壊されてなにやら工事中でした。で中は立入禁止でこれ以上の写真撮影は出来ませんでした。

■援体壕(えんたいごう)

援体壕というのは・・・・戦闘機を隠すの目的で極秘に造られました、形状は扇形と言うか三角形をしています。この写真は要の部分。向こう側は間口10数mあります。高さは4〜5m位?戦闘機1機程度がやっと入るくらいの大きさです。でもしかし・・・・近くに滑走路はないしどうやって戦闘機を運んでくるのか?で素朴な疑問として建物としての登記はどうなっているのか?今は物置に使われているみたいでした。

畑のど真ん中にあります。中の物は主に耕運機とか精米機とか農業関係のモノが置いてありました。案外低くて戦闘機ならばちょっとつかえてしまうかも?

戦闘機はこちら側から入れるようです。戦時中の建物ですので鋼材がなく木筋コンクリート製という非常に変わった建物です。完成直前に終戦になって聞くところによると1度も使用されなかったようです。この援体壕なるものは全国にいくつか現存しています。

■編集後記

わが街鈴鹿市というのは海軍の軍需工場がかつてあってその遺跡が所々現存している全国でも珍しい、また貴重な街だと考えています。これまでは漠然と「そういえば昔はここには海軍工廠があったんだよな〜〜〜〜」程度にしか知りませんでした。で今回ちょっと本格的に資料を調べてみたら遺跡が結構残っているのが分かって、「これは1度は走って廻ってみなくては!!」と思うようになりました。範囲もそう広くなく半日で充分廻れます。今回走った日は真夏の暑い日で、早い時間から走り始めて昼には走行を終ることが出来ました。見所も多数あるし、コース上にはレストランや喫茶店、コンビにもあります。秋の1日、ゆっくり見て廻ったら愉しいのでは?と思っています。そうですね、秋あたり興味のある方で走ってみたいと言う方でブラッと走ることを考えています。また告知しますのでまた御連絡して頂けたら、と考えています。また1人、他の方と一緒に走りたい方の為に詳しいMAP製作してみました。どしどし活用して頂けたら、と思います。