高取峠から見た赤穂。元禄13年秋、浅野内匠頭長矩の大名行列は参勤交代の為江戸へ下って行きました。ここまで内蔵助が見送りに来ています。内匠頭はこれが赤穂の見納めになるとは夢にも思わなかったのではないでしょうか?また元禄14年3月19日早朝、主君の悲報を知らせる早駕籠の萱野三平、早水藤左衛門がここから見た赤穂はどのように目に写ったのでしょうか・・・・???

忠臣蔵歴史散歩 播州赤穂編

忠臣蔵歴史散歩もいよいよクライマックス近く、今回は内蔵助以下四十七義士や浅野内匠頭の故郷、赤穂を訪ねて来ました。で赤穂はちょっと関西圏から遠く、見所も多くて楽しそうなので近くの大黒屋さんやUGの兄♭♭♭さんをお誘いしてみました。速報レポートでもお分かりのようにここは忠臣蔵ファンの聖地ですね。(笑)見所が多くて今回はさっとしか見られませんでしたが、もう1回程度行ってじっくり見て廻ったらまた新たな発見も有ると思います。主な見所は息継ぎの井戸、花岳寺、大石神社、赤穂城、といったところです。他にも多数あります。寒い1日でしたが、とても面白かったです。

■走行:2009. 1. 11
■参加者:大黒屋さん、UGの兄♭♭♭さん、akuta 計3人
■コース:
道の駅あいおい白龍城〜高取峠〜播州赤穂駅〜息継ぎ井戸〜花岳寺〜赤穂城〜大石神社〜旧大石邸〜民族資料館〜坂越〜道の駅あいおい白龍城 
走行: 約20km

■走行コースマップ

■道の駅あいおい白龍城〜高取峠〜播州赤穂駅

道の駅あいおい白龍城には時間前には集合しました。
今日の私の車は2日前に納車になったばかりの新車です。

今日は全員ガード付700Cランドナーでした。

国道から1本入ったらおおっ!!思った通り旧道です。嬉〜〜〜〜〜!!

昔の道標もありました。道はダートで昔のままです。→

今日の愛車は'82年Rene'HERSEのUGの兄♭♭♭さん。

大黒屋さんは旧街道の雰囲気を楽しんでいるようでした。

峠の茶屋跡。

さあ、ここから赤穂です。初めての訪問になります。

高取峠には早駕籠のモニュメントがありました。もうビックリするやら嬉しいやらで・・・・(笑)

高取峠の碑。1里=3.92kmですので155里=607.6kmになりますね。

高取峠での記念撮影。

今日は3人でしたが、少人数でも結構楽しかったですね。どうでしょうね、忠臣蔵の歴史散歩なんていう、へんてこりんな企画にお付き合いして頂いて有難うございました。

写真提供:UGの兄♭♭♭さん

国道250号から赤穂駅へ行きます。

千種川の河川敷きは凄く広かったですね。サッカーなどしていました。

←駅前に立つ討ち入り時の内蔵助のブロンズ像。采配を振っています。

播州赤穂駅は忠臣蔵の駅でした。それが証拠に・・・・・

駅構内にある「忠臣蔵」の文字。300年祭の時に書かれたようで横5mくらいある?車1台分くらいはありそうな凄く大きい文字です。

駅構内に展示してる内蔵助の辞世句

   あらたのしや

          おもひは晴る々

               身ハ捨つる

                  浮世の月ニ

                        か々る 

                             雲なし



元禄16年2月4日細川越中守邸にて切腹。 介錯人は安場一平が務めました。享年45歳。切腹の日、御目付役荒木十衛右門から吉良家断絶と吉良義周の永の預けの処分を聞いて上の辞世句を書いたものと思われます。本懐も遂げ、もう思い残すことは何もない・・・・という心境だったでしょう。

浅野内匠頭長矩の辞世句。

  風さそふ

        花よりもなほ

             我はまた

                   春の名残をいかに

                         とかせん


有名な辞世句ですが、正式な短冊は残ってないそうです。取り調べた御目付多門伝八朗の覚書の中に書いてあるそうです。
赤穂藩5万3千石を捨ててまで刃傷に及んだ真の原因やいかに・・・・???


元禄14年3月14日 田村右京大夫邸で切腹。享年35歳。
一途に1本気で卑屈に頭を下げられない清廉潔白の人となりでした。最近の研究で原因はやはり当日、上野介から20人もの前で悪口を言われたのが原因だろう・・・と言われています。

■赤穂市内の様子は次へをクリックして下さい。

2009.1.14