矢ノ川峠からの眺め。左に尾鷲市、右には遠く熊野灘、賀田湾が見えます。運が良かったら遠く富士山も望めるそうです。

このプランですが・・・・2009年7月14日は紀南線バス廃止50周年、翌15日は紀勢線開通50周年記念という、地元に住む者にとっては一大イベントがあり、両方のイベントにはもちろん参加しました。紀勢線の方は50年前と同じ時間に記念列車が亀山駅を出発、白浜まで走りました。紀南線バスの方は尾鷲市の熊野古道センターで当時の運転手や車掌の方々などお招きしてトークショーや写真のパネル展示などありました。非常に興味深い内容で大変良かったです。で本当に驚いた事があって、当時の運転手の方が89歳でまだお元気で当時の苦労話などして頂きました。車掌の方もまだお元気です。当時の初の女性車掌の方も登場していろいろお話して頂きました。
一番驚いたのが例の峠の茶屋の稲田のぶへさんのお孫さんが会場に来て当時の稲田さんの話や峠の茶屋の事など話して頂いた事です。峠にある石碑の話や作家吉川英治が矢ノ川峠を通った時の話など貴重な話を聞くことが出来ました。

この50周年の年の秋に最後に開通した紀勢線の三木里〜新鹿間を含む尾鷲〜熊野間を輪行して紀南線紀伊木本〜尾鷲間43kmをツーリングしようというプランが出来上がっていました。しかしながら・・・例の転倒骨折でこのプランは棚上げ。じっと機会を待っていました。51周年になる前の良い時期にということで5月上旬と決めてようやく走ることが出来ました。


■走行:2010.5.9
■コース:  紀南線営業路線を訪ねてその1  紀伊木本〜旧矢ノ川峠入口
        紀南線営業路線を訪ねてその2  旧矢ノ川峠入口〜矢ノ川峠〜尾鷲       営業距離:43km

■昭和11年10月16日〜昭和34年7月14日 紀南線営業路線図 (評議峠コース) 

■紀南線営業路線プロフィールマップ

■紀南線沿革

省営バス紀南線は昭和11年10月16日に開業した訳ですが、それ以前はどうだったかというと鉄道は紀勢東線は尾鷲、紀勢中線は紀伊木本まででした。
でその紀伊木本〜尾鷲間の交通はどうしていたのかというと、熊野商船会社が営業する船の便ともう1つ、紀伊自動車会社が営業する例の我が国最初の安全索道(営業ロープウエイ)の2つのルートでつないでいました。料金は船便が1円30銭、紀伊自動車の方は1円でした。尾鷲〜紀伊木本間の鉄道を1日も早く開通させようと工事は戦後始まりました。1番の難工事は全長2993mの曽根トンネルで昭和33年に貫通、翌年7月15日に紀勢線は全通する訳です。

道路の紀伊木本〜尾鷲間は昭和 11年に矢ノ川峠を自動車が通れる道が開通します。工事は大変難渋を極め、特に南谷が最難関の工事区間だったそうです。当時の鉄道省は早速この開通を受けて省営バス紀南線の営業を開始します。
紀南線バスは最初は六甲A型という、16人乗りの小型のバスを運行させます。その後六甲B型という、定員32人のバスに変更になりました。戦後は鉄道省から国鉄になり、国鉄バスが走るようになります。メーカーはいすず、モデルはちょっと特定出来ませんでしたが、DA110型エンジン/105HP搭載 BX131、BX141あたりではないかと推測されます。

■紀南線を走ったバス 戦前は・・・・

昭和11年、最初に紀南線を走ったバスは六甲A型ではないかと推定されています。

定員16名で比較的小型で今で言う、マイクロバス程度の大きさでした。

このバスは埼玉県大宮「鉄道博物館」に展示してある戦前の省営バスです。紀南線を最初に走ったバス「六甲A型」モデルに非常に似ています。細部がちょっと違っていてまったく同じバス・・・・ではありませんが、ほぼ同じ大きさ、スタイルのバスです。

ラジエーターの動輪マークは鉄道省のマークで
す。

国鉄バスに描かれているツバメのマーク。
各色あり、進行方向に向けて描かれていました。

■紀南線を走ったバス 戦後は・・・

この本は去年、紀南線廃止50周年を記念して発行されました。

矢ノ川峠で尾鷲行きのバスが止まっています。
バスはいすゞ製、急カーブが多い路線なので比較的小型のバスが使用されました。モデルは特定出来ませんでした。


■当時のバス時刻表 昭和31年11月19日

 尾鷲発     5:40   紀伊木本着   8:20
           9:00             11:40
          12:20            15:00
          16:20            19:00

紀伊木本発    5:40    尾鷲着     8:20
           9:00             11:40
           13:00            15:40
           16:20            19:00

料金:紀伊木本ー尾鷲 160円

紀伊木本を出たバスは1時間40分で矢ノ川峠に到着、小休止して峠から1時間jかかって尾鷲まで走ったそうです。

■当時の木本発アナウンスはおおむね以下のようでした。車掌は男性だったそうです。

「皆様毎度ご乗車有難うございます。この車は木本ー尾鷲間43kmをを約2時間45分で参ります。途中標高808mの矢ノ川峠にて休息しますが山道で急停車する場合もありますので充分ご注意下さい・・・・・」

■今入手可能な紀南線を走ったボンネットバスモデル

このモデルは1/76クラブバスラマ製 いすずBX141です。細部、色など少し違いますが、紀南線を走ったバスに非常に近いモデルと言えます。入手可能なモデルとしては精密さなどピカイチだと考えています。

1/76で長さは10cmほどです。
当時のバスはボンネット式、エンジン出力も100HP程度と非力でした。

今と違って車掌が必ず乗っていました。女性と思いきや、男性車掌が多かったそうです。

方向指示器は例の腕木が出るタイプで懐かしいですね。

※紀南線営業路線は後年佐田坂コースに変更になりました。(今のR42号) この路線図は戦前のもので停留所の場所など一部推測の部分もあります。
地名は当時の紀南線バス停留所ですが、全部ではありません。参考程度にして下さい。

■紀南線廃止50周年シンポジウム

2009年7月11日、尾鷲市熊野古道センターで紀南線廃止50周年記念シンポジウムが開催されて参加してきました。当時の紀南線運転手や車掌の方々にいろいろお話を聞くことが出来ました。1番の収穫はあの稲田さんのお孫さんに当時の矢ノ川峠茶屋の話、のぶへさんの事などかなり詳しく聞くことが出来た事です。

会場となった尾鷲市熊野古道センター。
今日はどんな話が聞けるのかなあ・・・と期待していそいそと出かけて行きました。

入口です。

さあ、今日は・・・・・???
期待が高まります。

展示してあった当時の紀南線バスや矢ノ川峠の写真パネル。左から2番目の乗務員の中央に座っている運転手の熊野市在住久保さんはこの会場に見えて当時の苦労話などして頂きました。直接話が出来て・・・・・感激しました。今年90歳になられて未だにお元気です。

「想い出の矢ノ川峠の会」会長の福村氏挨拶。
矢ノ川峠や省営バスに非常に関心がある小生としましては非常に意義のあるシンポジウムでした。

紀南線初の女性車掌の尾鷲市在住の上田さん。男性が戦争で兵隊に取られて乗務員が不足し、女性から初の車掌が誕生しました。当時18歳だったそうです。当時の苦労話などして頂きました。

この方のあとに稲田のぶへさんのお孫さんが登場して当時の矢ノ川峠茶屋やのぶへさんの事など話して頂きました。

のぶへさんは1男5女を授かって長女の宏子さんの長女の加代子さんがこの日見えました。加代子さんは尾鷲市在住だそうです。のぶへさんの長女の宏子さんは平成15年にお亡くなりになったそうです。

峠の茶屋に強盗が入った話やのぶへさんが猪を生け捕った話などして頂きました。

■2009年尾鷲駅で

2009年7月の尾鷲駅。

紀勢線全通50周年や紀南線廃止50周年の写真パネルが飾られていました。

非常に興味深い写真。

で1番驚いたのが・・・・・1番下の尾鷲駅前を紀南線バスが出発する所の写真。

右の建物はペリカン便でおなじみの日通です。去年まではこの紀南線がまだ走っていた当時の建物が当時のままに残っていて、ちょっと驚きました。

2009年当時の日本通運尾鷲支店。
あの紀南線が走っていた当時の建物です。当時のままに残っていて非常に驚きました。

すぐ上の写真のバスの後ろに写っていますよね。

今回のツーリングで日通の建物が取り壊されているのを発見してちょっとがっかりしてしまいました。

当時の面影を残す貴重な建物と思っていたのですが・・・・・
時代の流れには逆らえないようです。

■ツーリングレポートは次へをクリックして下さい。

2010.5.29

廃止から50年 省営バス紀南線営業路線を訪ねて